魅惑の深海パーティの片隅に

In the corner of enchantment under the sea

「アラジン(2019)」

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スター・ウォーズアベンジャーズという最強のフランチャイズを手にし、その上20世紀フォックスまで買収して「夢と魔法と金銭搾取の大帝国」を拡大し続ける絶好調のディズニーは、作ればヒットがほぼ約束されている自社アニメの実写化にも力を入れている。


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実写化してきた作品はアリス・イン・ワンダーランド(不思議の国のアリス)、マレフィセント(眠れる森の美女)、美女と野獣、シンデレラ、ダンボなど。来年以降はリトル・マーメイドやムーランも待機中。2014年以降急増したディズニー実写化だが、意外にも作品自体の評価はまちまちだ。


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3DCGで製作された“超実写版”ライオン・キングは、そのリアルさゆえに2Dアニメ版ではそれほど気にならなかった部分(意思疎通できる相手を喰らう世界観、ポコチンの無い去勢された野生動物など)を浮き彫りにし、「何でも実写化すりゃ良いってもんじゃない」を裏付けしてしまった。またポリコレ的観点から「絶対王政を美化している」という批判も少なくない。


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「塔のてっぺんで王子の助けを待っている」昔ながらのプリンセス像を自己否定し、差別の寓話として「ズートピア 」を製作するなど、近年のディズニーはポリコレに慎重な姿勢を取っている。こうした90年代以降のディズニーの企業努力は世界的に評価されてきた。


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しかしオリジナル版と「原作ファン」が世界中に存在する実写化の場合話が変わってくる。基本的なストーリーが同じ分、ポリコレに配慮して変更した部分が浮いて見えやすくなってしまう。ディズニー実写化に際してネット上で繰り広げられる「ポリコレVS反ポリコレ論争」はめちゃクソ面倒臭いため、なるべく干渉しないようにしている。


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ディズニー・ルネッサンスの名作「アラジン」実写化を任されたのは、犯罪が絡むアクション映画を得意とするイギリス人監督にしてマドンナの元夫、ガイ・リッチーだった。


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完成した実写版「アラジン」を観ると、想像以上にガイ・リッチー色の濃い作品になっている。過剰な演出、ヒップホップ調にアレンジされた「フレンド・ライク・ミー」、パルクール・アクションにジャッキー・チェンへのリスペクト(プロジェクトA)を入れる無邪気さ。そして何より、彼最大の作家性であるブロマンス(男性同士の近すぎる友情)。


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「ロック、ストック&トゥー・スモーキング・バレルズ」や「ロックンローラ」のチンピラ、「スナッチ」の強盗団、「シャーロック・ホームズ」のホームズとワトソンなど、ガイ・リッチー作品に登場する男性はやたらと距離が近い。



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今回の実写版におけるアラジンとジーニーの距離感も兄と弟、もしくは先輩と後輩のような近さになっているが、なんと今作でガイ・リッチーはさらに進化した作家性を見せつける。



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その進化した作家性を象徴するのがジャスミンの侍女、ダリアという新キャラクターだ。王女と侍女という圧倒的上下関係がありながら、恋バナやガールズトークで盛り上がる2人の姿は親友そのもの。これらの描写は言うまでもなくガイ・リッチー的ブロマンス表現の延長上にある。


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そしてこのガイ・リッチーの作家性はディズニーが求めるポリコレ配慮と違和感なく合致し、新曲「スピーチレス」を歌うジャスミンの姿に説得力を持たせている。色んな意味でハードルの高いディズニー実写化を見事に成し遂げた天才、ガイ・リッチーを今こそ再評価すべきだ。


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「サウスパーク 無修正映画版(R-15)」

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貧乏白人ばかり住むコロラド州の田舎町「サウスパーク」を舞台に、スタン、カイル、カートマン、ケニーの小学生4人組がFUCKやらASSやらSHITやら下品な言葉を連発する超過激風刺アニメの劇場版。原題“Bigger,Longer & Uncut”は「無修正映画版」と「デカくて長くて剥けてない」のダブルミーニング


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主人公4人は道端で寝てた浮浪者を買収し、オナラとファックだけが持ちネタであるカナダ人のコメディアン、テレンス&フィリップ主演のR指定映画「燃えよコウモン」に潜り込むことに無事成功。大人の観客はあまりに下劣な内容と長尺(3時間超え)に耐えかねて劇場を後にするが、ツボに入った4人は小学校で映画の内容や新しく覚えた罵倒語を言いふらす。


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結果テレンス&フィリップは学校で大流行、子供たちは親も真っ青の罵倒語を連発。映画内のギャグを真似してオナラに火をつけたケニーは大火傷を負ってしまい病院に運び込まれるが、医師が心臓とポテトを入れ違えたため死んでしまう。


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そして地獄(サウスパークの世界ではモルモン教徒しか天国に行けない)に堕ちたケニーが目にしたのはサタンとゲイカップルのサダム・フセインだった。


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子どもたちの変貌にカイルの母親をはじめとするPTAのクソババアどもは大激怒。議論は「カナダが悪い!」「テレンス&フィリップは処刑!」とエスカレートし、結果アメリカとカナダは全面戦争に突入する...


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サウスパークの魅力は度を超えた平等精神にあると思う。宗教、人種、ゲイ、レズ、身障者、戦争等なんでも等しくネタにし、臭い物に蓋をする社会に中指を立てる。著名人に対しても一切容赦せず、「Windows98が使えねぇ!」とビル・ゲイツは射殺され、公開当時現役バリバリのイラク大統領だったサダム・フセインは地獄でサタンとfudge packerに興じる。TVシリーズでも多数のセレブを殺した。


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基本的に怖いもの知らずな製作陣だが、ムハンマドにクマの着ぐるみを着せて登場させた200話記念回では、偶像崇拝を禁じるイスラム教の過激派から殺害予告を受けるなど騒動になった。


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実は本作はミュージカル映画であり、劇中歌「ブレイム・カナダ」はアカデミー歌曲賞にノミネートされている。下手なミュージカル映画にありがちな「歌で物語が停滞する」ことが一切無いのも凄い。個人的に好きなのは「アンクル・ファッカー」と「カイルの母ちゃんはビッチ」、「レジスタンス」も聴きかえす度テンションが上がる。


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クライマックスではサタンと手を組んだサダム・フセインが地獄から参戦。アメリカVSカナダの全面戦争はラグナロクに突入し「プライベート・ライアン」さながらの地獄絵図が展開するが、そんな最終戦争を「汚い言葉」でもって終結させるラストにはバカバカしさを超えた感動がある。


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最近話題の「表現の自由」をテーマにした政治的な内容でありながら説教臭さが無く(あまりにバカなので)、何よりPTAの口うるさいババアがいかにクソであるか再確認できる素晴らしい映画だと思う。


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「トイ・ストーリー」シリーズ

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トイ・ストーリー」シリーズは、おもちゃたちが人間の残酷世界で酷い目に遭いまくる一種の地獄巡り映画だ。





トイ・ストーリー



1作目「トイ・ストーリー」は1995年、世界初の長編CGアニメーション映画として公開された。今ほど技術が発展していない当時、人間や動物など「血の通った」CG表現は難しかったため、題材にはオモチャが選ばれた。

   カウボーイ人形のウッディは、アンディの部屋でリーダーとして地位を確立していた。持ち主から愛され、仲間からは信頼され、全てが満ち足りていた彼だったが、最新型おもちゃバズ・ライトイヤーの登場で全てが崩壊する。



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新入りに自分の地位を脅かされ、持ち主と引き離され、仲間からは排除され、最後に行き着くシド宅で直面するのは「ムカデ人間」さながらの肉体改造の恐怖。主人公を精神的にも肉体的にもゴリゴリ追い込む正真正銘の鬼畜ムービーだ。




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トイ・ストーリー2



前作から4年後に公開された「トイ・ストーリー2」は、「2の鉄則」に倣い格段にスケールアップしている。CG技術の進歩により犬の毛並み等が再現され、人間の出番も増えた。




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パート2ではある衝撃の事実が明かされる。ただの古びたカウボーイ人形と思われたウッディが、実はプレミア付きの超激レアおもちゃだったのだ。身体がほつれ始め、持ち主に捨てられるかもしれないという不安に襲われるウッディは、突然突きつけられた「自分の本当の価値」に恍惚とする。ウッディとは対照に、バズは大量生産品として棚に陳列される自分を目撃する。自分をスペースレンジャーと信じて疑わない以前の彼ならショック死してしまいそうな光景だが、前作で自分がオモチャであることを受け入れて成長したバズは割とすんなり受け入れる。



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今作のヴィランは、ウッディと共に博物館で展示されることを望む炭鉱者人形のプロスペクター。「子どもが成長すれば遊ばれなくなる」と主張する彼に対し、「アンディが大人になるのは止められないが、それでも構わない」と告げるウッディ。「お前にも遊びの楽しさを教えてやる」と吐き捨てたウッディと仲間たちは、おそらくオモチャを大切に扱わないであろう見ず知らずの少女のリュックにプロスペクターをブチ込む。「おもちゃは子どもに遊ばれてこそ幸せ」という自分の価値観を他人に押し付けてしまうのだ。



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手段は別として、プロスペクター個人の「博物館で大切に展示されたい」という願望は決して間違っていない。この部分に対する違和感はピクサー側にも残ったようで、以降の「3」と「4」はこの「プロスペクター問題」への反省を踏まえて製作されている。

   



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トイ・ストーリー3



これまで父親のメタファーとして描かれてきたウッディは、大学進学を目前に控えたアンディとの「子離れ」に苦しんでいた。「1」のクライマックスで大活躍したラジコンのRCや、「2」のラストで「君はともだち」を熱唱した歌うまペンギンのウィージー、ウッディの昔の女ボー・ピープ等、仲間たちの何人かはもういない。




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パート3の見所はやはりシリーズ最恐の地獄巡りにある。舞台であるサニーサイド保育園は「オモチャがオモチャを迫害する」アウシュヴィッツとして描かれ、イチゴ臭いクマのロッツォが強権で支配している。スティーブ・マックイーンもびっくりの周到な計画で脱走に成功する仲間たちだったが、その先に待っていたのはオモチャにとっての「死」を意味するゴミ処理場。地獄巡りを題材にした映画は数あれど、ラストでマジもんの「地獄の炎」を見せた例は少ない。本当に恐ろしいシーンだと思う。




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リトル・グリーン・メンが「カミサマ」と崇めるクレーン(デウス・エクス・マキナ)で何とか生還したオモチャたちは急いでアンディ家に帰宅。当初アンディと大学に行くはずだったウッディは、仲間たちと近所に住む少女ボニーのもとへ行くことを決断する。アンディはボニーの元へ向かうが、ウッディを手渡す時一瞬躊躇する。本作でウッディは子離れに苦しむが、アンディにとっても親離れは辛いものだった。



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オモチャたちは遂に安住の地を得、これにて「トイ・ストーリー」トリロジー無事完結、、、とはならなかった。製作陣は「ウッディにはまだ語るべき物語があると思った。」と語る。3作目で完結したのはあくまでウッディとアンディの関係性についての物語であり、ウッディ個人の地獄巡りはまだ終わっていない。





トイ・ストーリー



トイ・ストーリー4」は「2」においてウッディが口走ってしまった「おもちゃは子どもに遊ばれてこそ幸せ」という言葉に、「もっと別の形の幸せもあるのではないか」と自ら疑問を呈する映画だ。



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新天地でのウッディの生活は辛いものだった。ボニーに早々に飽きられ、クローゼットの中で埃を被る毎日。アンディの家では仲間をまとめ上げるリーダーだった彼は、今ではその役割もなくなり存在価値を失っていた。


本作で初登場する新キャラのフォーキーは、ボニーがゴミ箱から拾った先割れスプーンで自作したオモチャであり、「僕はゴッミだー!」と叫びながら何度もゴミ箱にダイブする。ウッディはそんな彼の見張り(もしくは子守)を務めることで自らの役割と存在価値を取り戻そうと必死になる。本作でウッディは「ボニーのため」と言ってフォーキーを世話するが、実際は全て「自分のため」の行動だ。彼は「フォーキーの見張り」という役割を失えばガチの用無しになってしまう。ウッディはフォーキーを「お前はゴミじゃない」と説得するが、本当に自分のことをゴミだと感じているのはウッディの方だ。



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色々あってウッディはボー・ピープとロマンチックな再会を果たすが、彼女は9年の間にレリゴー的な自立した女性に変貌し、「野良おもちゃ」を率いる気高きリーダーになっていた。各々が実存主義を掲げ、持ち主の所有から完全に自由な状態で街から街を渡り歩いて子どもたちに遊ばれ続ける彼らにウッディは衝撃を受ける。



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今回初登場する50年代の女の子人形、ギャビーギャビーは思想がウッディと共通している点で「2」のプロスペクターや「3」のロッツォとは異なっている。ウッディと同じように「1人の子どもから愛されたい」と願うギャビーギャビーだが、彼女が所有する内蔵レコーダーは壊れて音が出なくなっていた。子供から選ばれず、棚の中でひとり子どもと遊ぶ自分を夢見る彼女にウッディは同情し、自らの内蔵レコーダーを手渡すことを決意する。最終的にギャビーギャビーは子どもから愛されるという幸せを手にし、同時にウッディは「子どもに愛されないおもちゃと子どもを繋げる橋渡し」という自らの新たな役割に気付く。そしてウッディは新たな世代のためオモチャの現役を引退し、ボー・ピープと共に外の世界へ旅立つという最大の決断を下すことになる。シリーズを通して人間世界の地獄を見てきた彼は、遂におもちゃの天国に辿り着いた。


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「ジョーズ」

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(あらすじ)海水浴客でにぎわう夏の海に、突如として巨大な人食いザメが出現。若い女性が無残に食い殺される。警察署長のブロディは海水浴場の閉鎖を訴えるが、町の財政は夏の観光で成り立っているため、意見を聞き入れてもらうことができない。すると第2、第3の犠牲者が発生し、町はたちまちパニックに陥る。ブロディは若き海洋学者のフーパーと荒くれ者の地元の漁師クイントとともに、独断でサメ退治に乗り出す。





・ブロック・バスター


 当時大ベストセラーだったピーター・ベンチリー作「ジョーズ」を映画化するにあたり、ユニバーサルは歴史上初めてのブロック・バスター展開を行った。表紙を映画ビジュアルと連動させた原作本が売られ、街中にポスターが貼られ、TVでは大量にコマーシャルが流される。人々は無意識のうちにジョーズが観たくなるように洗脳された。当然宣伝費は巨額なものとなったが、予定の3倍にまで膨れ上がった制作費を回収するためには仕方がなかった。 






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・悪夢


 監督に抜擢されたのはTV映画「激突!」や「シュガーランド・エクスプレス(原題)」で注目されたスティーブン・スピルバーグ。自信と才能に満ちた当時27歳の彼は揚々とクランクインを迎えるが、「ジョーズ」の撮影は過酷を極めた。長編2作目(激突!はTV映画なので除外)と経験も浅く周囲と比べて圧倒的に若いスピルバーグは他のスタッフから青二才と見なされ、キャストからはめっちゃナメられた。言うこと聞かないクルー、照りつける太陽、船酔いでゲロ吐きまくるスタッフ、製作は脚本未完成のまま続き、その日撮影される分が日々書き足されていった。予算と撮影日数は大幅に超過し、スタジオ側は制作を中止させようと圧力をかけた。キャストやスタッフの間には険悪なムードが広がっていく。現場は地獄だった。

 スピルバーグは撮影終了時、マッカーサーの名言をもじって“I shall not return!”(二度と戻らねぇぞ!)と宣言したが、実際「ジョーズ2」の監督はヤノット・シュワルツに交代している。





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・演出


 スタッフを何より悩ませたのはサメのロボット(通称ブルース)だった。精巧に作られたアニマトロニクスは海水に弱く、すぐに壊れてしまう。サメ映画にサメが使えないという緊急事態に、スピルバーグは「サメ視点での撮影」「海面から背びれだけ出す」という2つのアイデアで対処し、サメを見せずにサメを表現することに成功した。サメが捕食対象である人間との距離を縮めていく緊張感が強化され、サメの姿が見えないことで恐怖が増幅された。当初は全編バンバン使う予定だったサメロボットは出番を減らした(開始60分あたりまで一切登場しない)が、スピルバーグは自らの演出力を世界に見せつけることに成功した。




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・ディズニー


 ちなみに撮影時に使用されたサメロボットの「ブルース」という名前は、後にピクサー映画「ファインディング・ニモ」でホホジロザメの名前として登場する。またディズニー映画「シュガーラッシュ オンライン」のとあるシーンで“Sportsmens Paradise 007o981”と書かれたナンバープレートが一瞬映るが、これは「ジョーズ」劇中に登場するものと全く同じ。ファンサービスが行き届きすぎている。




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・残酷王スピルバーグ


 監督初期作ということもあり、「ジョーズ」はスピルバーグらしさ全開の一本になっている。ジョン・ウィリアムズによる劇伴やモンスター映画であるのは勿論、「冴えない男が脅威から逃げまくる(時に立ち向かう)ことで成長する」というプロットは後のスピルバーグ作品に何度も登場する。だがやはりスピルバーグ最大の「らしさ」と言えば度を超えた悪趣味描写だろう。

 「インディ・ジョーンズ/魔宮の伝説」では生贄にされた青年が生きたまま心臓をもぎ取られ、「ジュラシック・パーク」ではトイレに逃げ込んだ弁護士がティラノサウルスに頭から喰われ、「プライベート・ライアン」では連合国の兵士が内臓むき出しのまま息絶え、「宇宙戦争」では大量の死体が川をプカプカ流れ、凶悪宇宙人の放つ光線で人体が一瞬で灰と化す...といちいち書いてたらキリが無い。「レイダース 失われたアーク」終盤におけるナチス幹部の顔面がドロドロに溶解していく場面は小2の僕に大きなトラウマを残した。「ジョーズ」では、喰い千切られた手足の断面をしっかり映す他、子ども好きで有名なスピルバーグにしては珍しく少年がサメに喰われて血飛沫を上げる等の残酷描写がある。有名な「沈没船から視神経むき出しの生首が突然現れる」という本作最恐のシーンは、スピルバーグが自腹で追加撮影を行なって本編に加えたものであり「絶対に観客(特に子ども)をビビらせたい!」という彼のSっ気が伺える。

 スピルバーグの妹は「兄は私のオモチャを取り上げ、バラバラにして遊んでいました。」と証言している。「トイ・ストーリー」に登場する創造力豊かなサイコパス、シド少年とそっくりだ。彼は「3」でゴミ収集の仕事に就いていたが、映画監督としての素質もあったのかもしれない。





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・成功


 ジョーズ1975年に公開され、当時の世界興行収入記録を塗り替える大ヒットを記録した(2年後にスターウォーズ エピソードⅣに塗り替えられる)。海嫌いの子どもが急増し、本来jaw(顎)の複数形でしかないjawsが「サメ」と同義語として使われるようになった。同様の例は「エイリアン」(元は外国人の意)くらいだろう。

 スティーブン・スピルバーグは「ジョーズ」で一躍人気映画監督の仲間入りを果たすが、童顔だった彼は「巨匠」と呼ばれるには風貌に威厳が足りなかった。ある日、師匠であるフランシス・フォード・コッポラに「お前ら顔が幼くてナヨナヨしてるからスタッフにナメられるんだぞ」と忠告されたスピルバーグと盟友ジョージ・ルーカスは、急いでヒゲを伸ばし始めた。



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